雑感  ・おなん講(女講)   
− おなん講(女講) −
かって男尊女卑の国と言われた鹿児島県。その鹿児島県に江戸時代から伝わるユニークな行事が残っています。鹿児島県東郷町山田上地区で継承されている「おなん講(女講)」です。山田上地区の妻たちは、稲刈りが終わって一息ついた10月中旬の一日を「上げ膳据え膳」で過ごします。 その年の回り番になった座元(ぬしどん)は、講の前日になると、講仲間の家から野菜などの食材を集め、料理の準備に取りかかります。献立は、にわとい(にわとり)のしめもん(煮しめ)などの鶏料理と子宝を願う里芋の田楽などです。


講当日、座元(ぬしどん)の家で、前年と翌年の座元(ぬしどん)の主人2人が女装して給仕にあたります。妻たちは何もしなくてよく、ただ座して男たちの手料理を頂きます。女性の着物をきて、顔は白粉で化粧。頭はほおかぶりで、給仕にあたる男の姿は笑いを誘います。男尊女卑と言われた国にしては、なんて男たちの優しい、ユーモラスな行事でしょうか。


薩摩おごじょ


「薩摩おごじょ」という言葉があります。鹿児島の女性のことを言うことばです。鹿児島の女性は非常に気丈夫でありながら男を立てる。このような姿を見て、鹿児島は男尊女卑の国であると思われがちだったのかも知れません。雑誌「プレジデント」の公式サイトの「編集室便り〜Editor's Letter」に、つぎのような内容の記事があります。


そう単純に理解してはならない。「薩摩おごじょ」は、夫の長所を見出しておだてる。夫は、気を良くして自信を持つようになり、仕事に張り切り、潜在能力を発揮する。それが家庭安泰につながることをよく承知していて、表面的には夫を立てながら、実は手のひらで踊らせているのである。


・今風「男女共同参画社会」の死角(2001年10月9日 第120回)
 → http://www.president.co.jp/pre/special/editor/099.html
(プレジデント社のトップページアドレスは、→ http://www.president.co.jp


とは言っても、農家の妻たちは大変です。昼は、田畑に出て男たちと同様に農作業をし、家に帰れば家事や育児があります。一息付く間もなく夜の更ける毎日です。鹿児島の農家では、確かに一番風呂に入るのは男と決まってはいましたが、男尊女卑と言われるほど男が偉そうにしていて、女性が低く見られていた訳ではありません。男たちは男たちで、力のいる仕事や家屋の修繕、農機具の操作や保守、そして地区の行事などへの出事や外交など、男としての役割を果たしてきました。
 それにしてもやはり農家の妻たちは大変でした。東郷町山田上地区の「おんな講」(女講)は、一家の主の夫たちがそうした日頃の妻たちの苦労に感謝し、併せてその年の豊作を喜びあう行事なのです。


2つの男女平等論


これからは、家事や育児なども出来ることは男性も分担して行く時代です。前出の「編集室便り〜Editor's Letter」の記事では、2つの男女平等論について書かれています。一つは、アメリカで発生したウーマンリブ運動、フェミニズムに見られるような、男女のどちらも同じ「種」であると考え、差を極力ゼロに近づけるという思想です。
 もう一つは、フランスをはじめとするラテン系の男女平等論です。男性と女性間に「違い」があることを前提にして、その男女の違いを生かしながら、そしてお互いに自分に無い魅力を相手に感じながら仲良くなり、一つの目標に向かってやっていこうという考え方です。まさに「恋愛の国」の発想だと書いています。


男女平等といっても、男性でないと出来ないこと、あるいは男性がやった方が良いこと、女性でないと出来ないこと、あるいは女性がやった方が良いことがあるように思います。パートナーとしてお互いの特性を生かしながら、男性も女性も等しく生きがいを持ちながらやって行けるようお互いに協力し合う。そして、忘れてならないのはそのような環境づくりのための政治や行政や地域社会の支援です。 「おんな講」(女講)の伝統行事や「薩摩おごじょ」には、どこか「恋愛の国」フランスの発想を感じる思いです。


【備考】
フェミニスト(feminist) :女権拡張論者。

 

  2003.10.08 
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